津波災害から逃れるには、高台にいち早く逃れることである。ついては、被害の大きかった船津村にこの出来事を忘れることがないように、石碑に刻み多くの人々が行き交う道路沿いに造立したい。

岩手県が運営する東日本大震災津波のアーカイブサイト。沿岸地域の災害伝承(口伝や教訓)、津波被害や警句が刻まれた石碑(祈念碑・慰霊碑)、住民の命と生活を守るために築かれた防潮堤・防波堤や水門等を「先人たちからの伝承」として紹介。

岩手県宮古市姉吉地区に残る昭和三陸大津波の後に津波の教訓が記された石碑(2011年4月30日撮影)。(c)afp/kazuhiro nogi 分類項目 説明 石碑の数 割合 教訓 予兆 津波が襲来する前兆 現象を警告 123基 36% 避難 避難の方法を訓示 57基 17% 居住 居住場所に関する戒 めを訓示 31基 9% 記録 津波被害の悲惨な様 このような過去の津波に遭遇した先人たちの警告は、時間の経過と共に徐々に忘れ去られ、石碑よりも海側、やがて海岸近くにも家が建てられるようになっていった。こうした状況下で東日本大震災による津波が発生し、ふたたび多数の人命が失われたのである。

以上のことは、明治29年の津波被害の後に各地に 設けられたモニュメントの文言にもよくあらわれてい る。現在一般的に津波とよばれている現象は、明治 29年当時において、一貫して「海嘯」と表記される こととなった。石碑はもとより、公文書から新聞報道 石碑だけじゃピンとこないけど、今は時代が変わって誰でも映像で残せるようになった。 今回の津波の映像がYou Tubeとかに沢山アップロードされているけど、100年後の人たちでもそれを見れば津波の怖さが実感できると思う。 『大地震両川口津浪記』にみる大阪の津波とその教訓 19 京都歴史災害研究 第13号 合す数多の大小船碇綱打きれ一時川上へ逆登る勢ひ に、4」安治川橋、亀井橋、高橋、水分、黒金、日吉、

石碑の墨入れで伝える 津波の教訓 SHARE 江戸時代、2度にわたって、今の大阪市内に津波が押し寄せ、甚大な被害が出たことをご存じでしょうか。